『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

「遇う」という字は知らなかったものにあうのではない

佐野明弘さん法話より

 

だから私たちが真宗(の教え)は遇うものだという時、「遇う」という字を書きますよね。

この「遇う」という字は知らなかったものにあうのではないと、『真宗新辞典』にはそう書いてある。

本来知っていたんだけれども、忘却をしていた、そのことが「出遇う」形で思い起こされてくる。

 

だから念仏に遇うということは、南無阿弥陀仏に遇うということが、自己に、自分に出遇うということなんですね。

南無阿弥陀仏と対照的に出遇うのでないんだと。

南無阿弥陀仏に出遇うということが自分に出遇うという、一つの、自分を思い起こした、と言ってもいいんです。

思い起こされた自分と、忘れていた自分というものが、実は分別意識という場所なんです。

だから自覚が起こる時にはどうしてもこの分別意識というのが必要なんです。

私たちは花一つを見てああ美しいなぁと言いますけれども、花一つが美しいということの中に、美しさも見ておりますし、いのちの世界全体にこれ触れているんです。

だからそこには善悪はないんです。

いいとも悪いともそういうことではなしに、ただそれを美しいと感覚しているんですね。

そういう真実から離れて、自我の中で一生懸命やっているものが、花一つに触れるところに、ある意味では、閉じこもった自己の中に感じられるものとして、その全体が花のところに触れてきたと、こう言ってもいいです。

それは自我というものが本当のものから離れてしまっているというところにしか出遇えないんです。

これは出遇うというのも離れないと出遇えないんです。離れるから出遇えるんです。

自覚が起こるということは、そうでないものに起こるんです。

思い出すということは、そうでなかった、

旅人がふと、帰ろうとする。

これは外に出ていたということです。

外に出なかったら、帰ることができない。

外に出たものが初めて帰るということを体験するんです。

 

この私たちの自我というのは果てしなくこうやって迷ってきた。

その果てしなく迷ってきたところに、帰るということが初めて成り立つ。

 

それを促すかのように私たちが帰ろうとすると、こういうことを繰り返して来たんですね。そういうことでなしに、道、道程の先に私たちの安住するような世界があるのではなしに、そうではなしに、常に外に出ているものが、外に出ているということを自覚さしめられるということで、うちなるものを感じるんだ。こういう具合になっているんです。目覚めということが私たちの意識に願われている根本の問題なんだということですね。

 

今日のはちょっとかなり禁じ手です。「であう」という言葉にこだわって、「会う」「逢う」「遇う」という字を常に使い分けています。

 

「会う」は同じ場所などで「会(かい)する」こと。

「逢う」は恋人同士の「逢い引き」など。

そして、「遇う」は、山道を歩いていて、石が急に落っこちてくる、なんかも「遇う」だと聞いたことがあるけれど、「遇う」は、「遇うべくしてあう。」 

「遇う」という字は知らなかったものにあうのではないと、『真宗新辞典』にはそう書いてある。本来知っていたんだけれども、忘却をしていた、そのことが、出遇うという形で思い起こされてくる。

 

三帰依


人身(にんじん)受け難(がた)し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身(み)今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。大衆(だいしゅう)もろともに、至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉るべし。
  自ら仏に帰依し奉る。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解(たいげ)して、無上意を発(おこ)さん。
  自ら法に帰依し奉る。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、智慧海(ちえうみ)のごとくならん。
  自ら僧に帰依し奉る。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無碍(いっさいむげ)ならん。
無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法は、百千万劫(ひゃくせんまんごう)にも遭遇(あいあ)うこと難し。我いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん。

真宗聖典」一頁の前

 

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月は 昔を思い出すためにある

40歳過ぎてから知ったことだけど、十五夜ってのは満月で、月がまん丸くなる。だから月の始めは月が細い。細い月が好き。

 

『ヨーコさんの”言葉”わけがわからん』(佐野洋子文、北村裕花絵、講談社) より

 

その4 お月さま

 

私が一番嫌いな写真は人間が月面を歩いている写真だ。

 

テレビで見た時も、「あんた、何しに行っているの、用もないのに」としか思えなかったが、

 

男たちは興奮していた。

 

お月様はウサギが餅ついているだけでいいの。私は侮辱されたような気がした。

 

山道を車で走っている時月を見ると、

 

昔のお姫様が月を見て男を待っていることを想像する。

 

唐土(もろこし)で、日本の月を恋しがる男の孤独を考える。

 

十二歳くらいの子守女が、冬の月を指さしている

ひび割れた小さな手を切なく思ったりして、

 

月は限りなく過去に私を連れて行く。

 

あれば見るものである。全ての人類が月を見て

あれこれ思いにふけったり、ただぼーっとしていたのだ。

 

月の石を待って帰ったりするのは狂気の沙汰である。

 

人にはやっていけないことがある。

そして人は

やっていけないことばかりしたがる。

しちゃうと当たり前になる。

 

未来はいつもいかがわしい。

つんのめって手先走る現実に、

もう私は息切れがしている。

 

一昨日(おととい)が満月だった。

この季節の満月を見ると、

北京(ぺきん)の月見を思い出す。

お客が酒盛りをしていて、

北京の中秋の名月は世界一だと

何回も何回も言って

 

大人たちはあごをつき出して

空を見ていた。

 

しかし私は地面にいる虫を

さがして下ばかり見ていた。

月を見なくちゃいけないと

上を見た時、

塀の上を黒い猫が歩いていた。

 

私は黒い猫に感心した。

 

大学の修学旅行で

奈良に行った時、

みんなひっくり返って

月を見ていた。

満月だった。

 

男の子の顔が昼前より

はっきり見えた。

 

「お前さぁ今はモテないけど

二十七、八になったらいい女に

なるよ。俺(おれ)そんな時になったら

惚(ほ)れてやってもいいぜ」

 

「そんな先のことじゃなくて、今惚れなよ」

「そりゃ無理だよ。絶対無理だな」

あの男の子はどうしただろう

 

ベニスで十歳くらいの男の子にナンパされた。

夜の八時に教会の噴水のところで待っているといった。

一二時近くにベランダに出たら月が出ていた。

海に光がさわさわ映ってていた。

本当にあの子は教会の前で待っていたのだろうか。

なんだか笑いたかった。満月だった。

 

ほら、月は

昔を思い出すためにあるのだ。

 

今夜は月を撮ります。

 

クレーターなんか見えたら、

佐野さんに叱られそうですね。

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今日はお昼にも撮りました。

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春の昼の月。

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罪障(ざいしょう)功徳の体(たい)となる  親鸞聖人のことば

高僧和讃 493P

曇鸞和讃

 

17
論主(ろんじゅ)の一心ととけるをば
 曇鸞大師(どんらんだいし)のみことには
煩悩(ぼんのう)成就のわれらが
他力(たりき)の信とのべたまう

 

※論主(ろんじゅ)の一心ととけるをばー天親「浄土論」は、「世尊我一心(せそんわれいっしんに)」ということばに始まる


18
尽十方(じんじっぽう)の無碍(むげ)光は
 無明(むみょう)のやみをてらしつつ
 一念歓喜(かんぎ)するひとを
 かならず滅度(めつど)にいたらしむ


19
無碍(むげ)光の利益(りやく)より
 威徳(いとく)広大の信をえて
 かならず煩悩(ぼんのう)のこおりとけ
 すなわち菩提(ぼだい)のみずとなる


20
罪障(ざいょう)功徳の体となる
 こおりとみずのごとくにて
 こおりおおきにみずおおし
 さわりおおきに徳おおし


21
名号(みょうごう)不思議の海水(かいしい)は
 逆謗(ぎゃくほう)の屍骸(しがい)もとどまらず
 衆悪(しゅあく)の万川(ばんせん)帰(き)しぬれば
 功徳のうしおに一味(いちみ)なり


22
尽十方(じんじっぽう)無碍光(むげこう)の
 大悲大願(だいがん)の海水(かいしい)に
 煩悩(ぼんのう)の衆流(しゅりゅう)帰(き)しぬれば
 智慧(ちえ)のうしおに一味(いちみ)なり

 

 

なお、曇鸞和讃は三十四首あり、高僧和讃の中でもっとも多い。

 

正信偈』では以下のような六行

本師、曇鸞は、梁の天子常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる。
 三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
 天親菩薩の『論』、註解して、報土の因果、誓願に顕す。
 往・還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
 惑染の凡夫、信心発すれば、生死即涅槃なりと証知せしむ。
 必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生、みなあまねく化すといえり。

正信偈』206頁

 

東本願寺のホームページに、古田和弘先生の、正信偈の教えを連載している。

正信偈の教え-みんなの偈- | 東本願寺

惑染(わくぜん)の凡夫(ぼんぶ)、信心(しんじん)発(ほっ)すれば、
生死(しょうじ)即(そく)涅槃(ねはん)なりと証知(しょうち)せしむ。

 

 

惑いに染まる私が、その惑いを、その罪障が、功徳の体となる。 

こおりとみずのごとくにて  こおりおおきにみずおおし  さわりおおきに徳おおし

 

 

 

「たまには弱み見せてくださいよ。」

 先日図書館で借りた本を読み終えた。

NHKで目にすることもあるこの著書は書いてあることが少ないのですぐ読めた。絵本と詩集の間のような、こんな感じも良いもの。

ヨーコさんの“言葉” わけがわからん

ヨーコさんの“言葉” わけがわからん

 

 

ということで、佐野洋子さんのようにつぶやいてみたくなった

 

 若かりし時「たまには弱み見せてくださいよ。」と、年下の男の子に言われたことがあった。

いや、正確には年賀状に書いてあったんだった、思い出した。

私は二十代後半で彼は大学生だったから、今思えばそれほど年が離れていたわけではなかったのだなぁと思う。

 

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彼は本願寺派のお坊さんで、当時は龍谷大学の学生さんだった。
たしか東西本願寺派合同行動非戦平和パレードみたいのが、東西本願寺がある京都駅周辺であってそれにお互い参加した。(今でもあるんだろうか。)
私は全国仏教青年同盟の事務局をやっていて、その「仏青同盟(ぶっせい)から5人パレードに出てください。」と陰のボスから指示があって、参加したような気がしてる。まあ、そういうこと、非戦をねがう強い気持ちなんぞがあって練り歩いたわけではない。ただ、尊敬して慕っていた先生が何人か参加しておられたな。
なんだか封印していた過去をのぞいた気持ちである。

 

三月の半ばに(恐れていた)法話の機会があって、

いろいろあったので、これまた昔に先生に聞いた言葉を思い出していた。

 

 

みなさん、ようこそお参り下さいました。

先日、3月10日に、娘の中学の卒業式がありまして、
朝7時におきまして、自分で髪をセットして、訪問着を着て、
9時過ぎに、中学に行きました。感動しまして、泣いてばかりいました。
校長先生の「学校長式辞」に感動していました。

 

思えば、遊林の中学入学式の校長先生の言葉に、うなだれた、覚えがあります。
その時の、日記(ブログ)があります。

 

4月7日に中学校の入学式があった。色無地をかしてあげるわよ!という方がおられたので、自分で着て行ったが、寒くて途中から帰りたい一心だった。

そんな中で、校長先生が、吉田松陰の言葉を紹介した。
吉田松陰というのは、幕末の武士、長州藩士で、一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られます、

「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、 計画なき者に実行なし、 実行なき者に成功なし。 故に、夢なき者に成功なし。」

吉田松陰

と、校長先生は高らかに語って、私はげんなりして、
私は今中学へ行っても劣等生だなぁ、夢ないし、成功とか目指してないし、と思って悲しくなって固まりました。楽しく期待に胸ふくらませて写真撮ってる場合でなくて、そそくさと帰りました。

 

でもそれが唯一最大の収穫で、
その日は、昼から法話で、聞いて下さるおばあちゃんたちに愚痴っていました。
と、書いていたのですが、

卒業式は、感激でいっぱいでした。


自分の中学卒業式は何の思い入れもなかった。これからの生活に期待も不安もなかった。ただ少したくさんの仲良しの友達とこれから共に過ごすことができないことが寂しく思えた。

校長先生が、はなむけの言葉を話されました。

 

「一歩、前へ。」(うちの男便所に書いてある、と、思ったが、それ、いま考えちゃ、ダメ。と自分に言い聞かせて、)

私たちは少し上手くいくと満足して立ち止まってしまうことがある。現状に満足することするのは、後退すること、ともいう。なぜなら周りが進歩するから。だから、一歩前へ。私はここに来て3年、みなさんの成長に関われたことをうれしく思う。

と、話されました。
中学の三年は聞いていたとおり、娘の成長が早くて、
反抗期もあり、彼女自身悩んで悩んで日光じんましんになったり、
泣いたり、怒ったり、優しくなったり、そして、親である私を「リスペクト」したり、リスペクトというのは、尊敬という意味で今、流行っている言葉てす。



式の最後に、卒業の歌が歌われました。

卒業生からは「巣立ちの歌」
花の色雲の影 懐かしいあの思い出
過ぎし日の窓にのこして 巣立ちゆく今日のお別れ
いざさらばさらば先生 いざさらばさらば友よ 美しいあすの日のため

風の日も雨の日も 励みきし学びの庭
かの教え胸に抱きて 巣立ちゆく今日のお別れ
いざさらばさらば先生 いざさらばさらばともよ 輝かしい明日の日のため

在校生からは「旅立ちの日に
白い光の中に 山なみは萌えて 遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に 心ふるわせ 自由を駆ける鳥よ ふり返ることもせず
勇気を翼にこめて希望の風にのり このひろい大空にー夢をたくして

懐かしい友の声 ふとよみがえる 意味もないいさかいに 泣いたあのとき
心かよったうれしさに 抱き合った日よみんなすぎたけれど 思い出強く抱いて
勇気を翼にこめて 希望の風にのり このひろい大空に夢をたくして
いま、別れのとき 飛び立とう未来信じて
弾む若い 力信じて このひろい大空に
いま、別れのとき 飛び立とう未来信じて
弾む若い 力信じて このひろい、このひろい大空に

 

ぐすっぐすっと、泣いているお母さんがいる。私も泣きましたが、
子どもってのはいいなーと、親にしてもらえる。
お母さんにしてもらえるんです。と、しみじみ、思いました。

飛び立とう未来信じて。人間には無限の可能性があるんだから。

 

これは、娘が、今年の「書き初め」に書いたものです。

「無限の可能性」

 この言葉を選ばれた習字の先生は、この村にも縁の深い○○先生です。中学生は先生の字をお手本にする。私も先生に習字を習っています。
先日、10日に、電話がありまして、「ご丁寧にありがとうございます、全然行けてなくてすみません、必ず行きます、当然1,2,3月号のテキスト代はお支払いしますよ。」「ああ先生、もう一つどうしてもいいたいことがある、私も、あの言葉が一番好きやよ、ありがとう、娘の書いたやつを部屋に貼っとるよ。」と伝えました。哲学者ハイデガーの有名な言葉です。

 

さて、娘は、受験勉強から解放され、今は毎日、友だちと遊んでいます。

今回の永代祠堂法会のはじめの日、3月11日に、佐野さんの言葉をお伝えしました。

私たちは「楽」をねがって生きているのだけれども、
「楽」は苦が抜けた状態です。
苦がとれると楽を感じる。お腹が痛いという時苦しいでしょう、
それが薬を飲んだり痛みがとれて来ると、楽、楽というのは苦がとれた状態。
苦がなかったら、楽も感じない。苦がとれるとその時に楽を感じる。
楽を感じているのは苦があったという証拠。
苦しみの経験がだんだん薄れて行くと、楽になったという気持ちも薄れる。
楽が感じる内容は苦があったということ、である。

楽が感じる内容は苦があったということ。

佐野明弘

 


それで、遊林に、今、「楽」だねぇと、それは、「苦」があったからだねえと、話しました。「こんなに、楽を感じれるなら、苦もいいでしょう」と、いいましたら、「苦もいい。」と娘は言いました。


私は和田稠先生が言っておられた言葉を彷彿としました。
「もう少しこの苦を味わっていてもいい。」 
ドフトエフスキーか、ゴーリキーだったか忘れましたが、
とにかく、主人公のアンナだったと思いますが、
救いに出遇った時に言った言葉です。
飲んだくれの亭主を持って、必死に稼いだ少しの金を、亭主がバクチや酒に使ってしまう、明日食べる物もないような生活を過ごすアンナだけれども、
救いに出遇った時、「もう少しこの苦しみを味わっていてもいい。」


と、いったというのですけれども、
うろ覚えの記憶をたぐりながら、お御堂の後ろにある『世界文学全集』を探しに行ったらありました。ゴーリキーの「どん底」でした。
が、ずいぶん長くなってしまったので、原典はまた違った形でアップします。

旅のお土産2 新種二匹

お兄ちゃんが今回の旅で「新種三匹撮った。」と、いばります。

 

【コガラ】

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【コガラ】スズメ目シジュウカラ
鳴き声:コーキーコーキー、ピッツツピーピッツツピー
大きさ:約13cm 
色:灰色
特徴:黒色の頭部。目から下は白色。クチバシの下は黒色。脇はやや褐色

   頬は白い。翼帯はない。喉の黒い部分は小さい。雄雌同色

 

7.シジュウカラの仲間

 

参考:「鳴き声と羽根でわかる野鳥図鑑」監修 吉田巧 岩下緑 池田書店発行

   「くらべてわかる野鳥」叶内拓哉 山と渓谷社発行

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【カケス】

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【カケス】スズメ目カラス科

鳴き声:ピェー、ジェッジェッ

大きさ:約33cm 

色:茶色

特徴:茶褐色の体、白黒水色の三色からなる翼、ごま塩をふりかけたような頭が特徴
頭頂は白く黒い斑点がある。黒、青、白色の模様。雄雌同色。

他の鳥や動物の鳴き声の真似をし、なかには人の声真似をする個体もいる。

警戒心が強い

 


26.カラスの仲間

参考:「鳴き声と羽根でわかる野鳥図鑑」監修 吉田巧 岩下緑 池田書店発行
   「くらべてわかる野鳥」叶内拓哉 山と渓谷社発行

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そして、もう一種は、今月のファイル利用量を超えてしまいましたので、

また4月に入ってからアップすることにします

 

おまけ:

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旅のお土産

軽トラに乗ってふらりと旅に出たお兄ちゃん

お土産をたくさん持って帰ってきました。

 

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【イカル】の群れ

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ジョウビタキ】オス

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【アトリ】

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シジュウカラ】オス

 

喉から腹部の中央にかけて、ネクタイのように黒く、オスは太い。メスは、黒いネクタイは細い。

参考:「くらべてわかる野鳥」叶内拓哉 発行:山と渓谷社  

 

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じゃーん!【カケス】 

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 すごいでしょう!【カケス】!後ほど詳しくアップしますね

 

 

お兄ちゃんは、

白山を抜けて、

岐阜の方にいって、高山とかいって、

長野に抜けて、

山梨へ行った。逆さ富士の写真を狙って河口湖で眠って、朝撮って。

富士の野鳥の森公園に行きました。

それから・・・

 

とにかく行く先々で、たくさんお土産を買ってきました。

バカだな、自分は軽トラの後ろで寝袋で眠って、

旅の先々でおいしいものを食べることもなく、

お土産なんて買ってこなくていいのに。

 

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ありがとう。とても、うれしいです

 

また後日、旅の続き、お土産の野鳥の写真をアップします。 珍しいのが撮れたんです。くすくす

桜を撮りました。昨夜葬儀式について話し合いました。

月参りに行きました。
桜を撮りました。

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桜の木ってピンク色なんですね。遠くからとればよかったのだけど、つい。

 

 

昨夜の学習会では、輪読会の後、

・葬儀式の次第

を話し合った。それぞれに親に教わったやり方とか、自分が大事にしているやり方とか、違うものである。

 

私の場合、通夜は、

正信偈草四句目下」「念仏讃(三淘)」和讃「弥陀成佛のこのかたは」「解脱の光輪きわもなし」「清浄光明ならびなし」の次第三首をお参りに来られた方と一緒にお勤めして、

下手でもいいから、「通夜説法」をする。

この後に、「嘆佛偈」を勤める。

おじいちゃんが、「通夜説法」を大事にしたいから、このやり方でやる、と言っていた。隣の寺のご住職は、それが大事だと言って、同じやり方でやった。

だから、うちの村は、私と隣の寺のお姉さんの代になっても、このやり方。

 

 

その時に、

・葬儀の時、僧侶が泣くということについて、どう考えているか

みんなはどう思うか、という発題があり、話し合われた。

 

泣いてもいい、泣いてはいけない、それぞれ挙手をした。

 

泣いていけないという方は、

門徒によって、付き合いによって、思い入れが深い方とそうでない方がいる。その態度を変えてはいけない。差が出るといけない。

儀式をちゃんとやることが、泣くほど思い入れが深い方との別れに、私たち僧侶のやるべきことだと思う。でも、といいながら、できないことがある。

 

泣いていいと思っている方が大勢

 

私は、

泣きます。差が出ます。

泣いていいと思っています。

 

 

大事な月参り。このおばあちゃんは、大切なおじいちゃんがお浄土へ帰った。未熟な私にいつも丁寧に接してくれた。時には一緒に泣いた。辛いことがあるとよく話を聞いてもらった。

「いつも、迷林さんに愚痴ばかり聞いてもらってごめんね。」とおばあちゃんは、今日も言った。

おばあちゃんがもし、お浄土へ帰ることがあったら、私は泣きます。考えただけで泣けるのだもの。「でも、迷林の方が先にお浄土へ帰ることもあるだよ、車を運転しているからね、私が気をつけていたって、誰かがぶつかってくるかもしれないんだから。」「ごめんね、私が先に死んだら悲しませてしまうね、先に死なないようにするからね。」というたわいもない話をして、今日も二人で泣いてしまった。

 

「あの角のおうちの桜、咲いていたよ。」

「そうそう、きれいだよね。」とおばあちゃんはいった。

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くちにただ称名ばかりをとなえたらば、極楽に往生すべきようにおもえり。それはおおきにおぼつかなき次第なり。

御文 五帖目十一通 蓮如上人 

 一緒にあげた御文の言葉に「私のことや。」といって、おばちゃんが泣いたので、「私も同じです。」と話した。称名とはこの場合、念仏・南無阿弥陀仏を称えること。

 


帰りに寄り道、図書館によって、いろんな言葉が引用されている本を読みました。

 

人間は、生を見ることが深ければ深いほど、苦悩を見ることが深くなる。

ツァラトゥストラニーチェ

 

人間は苦悩を欲し、苦悩を探し求めさえする

道徳の系譜ニーチェ

人間は、人間という動物は、これまで何の意義も有しなかった。地上における人間の存在には何の目標もなかった。「人間は一体何のためのものか」—これは答えのない問いであった。

中略

—人間は自己存在を弁明し、説明し、肯定するべきを知らなかった。彼は自己の意義の問題に苦しんだ。彼はそれ以外にも苦しんだ。彼は要するに一つの病気の動物であった。しかし、苦しみそのものが彼の問題であったのではない。むしろ「何のために苦しむか」という問いの叫びに対する答えの欠如していたことが彼の問題であった。

 

人間は、この最も勇敢で、最も苦しみに慣れた動物は、苦しみそのものを拒否したりはしない

 

彼はそれを欲する、彼はそれを求めさえもする。もしその意義が、苦しみの目的が彼に示されるとすればだ。

道徳の系譜ニーチェ著 岩波文庫 207P

 

まだ出典を 確認していないので、後ほど訂正するかもしれません

 

すでにもって真仮(しんけ)みなこれ大悲の願海に酬報(しゅうほう)せり

教行信証真仏土巻 親鸞聖人御自釈 真宗聖典P323

真仏土巻の最後の親鸞聖人の言葉の一番大切なのは、この一文だと思う

 

おまけ:

コチドリ

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アオサギ

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浄土真宗に帰すれども真実の心はありがたし 親鸞聖人のことば

 

親鸞聖人は、現代でいうと詩のようなものを書いている。
それを私たちは「御和讃(ごわさん)」「ご和讃(わさん)」といっている。

以下に紹介する親鸞聖人の詩は、「八十八歳御筆」と書かれている。1260年文応一年のことば。鎌倉時代(1185年頃から1333年)のことば。
難しくて理解できないかな。でも、それでもいい。

 

なんていいながら、我慢できずに、自分勝手に※を足しています。


正像末和讃 508P

愚禿悲歎述懐(ぐとくひたんじゅっかい)

1
浄土真宗に帰(き)すれども
 真実の心(しん)はありがたし
 虚仮(こけ)不実のわが身にて
 清浄(しょうじょう)の心(しん)もさらになし

 

2
外儀(げぎ)のすがたはひとごとに
 賢善精進(けんぜんしょうじん)現ぜしむ
 貪瞋邪儀(とんじんじゃぎ)おおきゆえ
 奸詐(かんさ)ももはし身(み)にみてり

 

3
悪性(あくしょう)さらにやめがたし
 こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり
 修善(しゅぜん)も雑毒(ぞうどく)なるゆえに
 虚仮(こけ)の行(ぎょう)とぞなづけたる

 

4

無慚無愧(むざんむき)のこの身にて
 まことのこころはなけれども
 弥陀の回向(えこう)の御名(みな)なれば
 功徳は十方(じっぽう)にみちたまう

 

5
小慈小悲(しょうじしょうひ)もなき身(み)にて
 有情利益(うじょうりやく)はおもうまじ
 如来の願船(がんせん)いまさずは
 苦海(くかい)をいかでかわたるべき

 

※有情は、情のあるもの、人間。

如来の願船(がんせん)がなかったならば、(この)苦海をどうやってわたるだろう


6
蛇蝎奸詐(じゃかつかんさ)のこころにて
 自力修善(じりきしゅぜん)はかなうまじ
 如来の回向(えこう)をたのまでは
 無慚無愧(むざんむき)にてはてぞせん

 

※蛇蝎ーヘビ・サソリ(毒がある)

※無慚無愧(むざんむき)ー恥じる気持ちもない

如来の回向をたのまないならば、恥じる気持ちもなくいのちを終わっていく

 


なお、愚禿悲歎述懐(ぐとくひたんじゅっかい)和讃は十六首ある

 

愛用↓

『聖教電子化研究会』http://seiten.icho.gr.jp/

 

おまけ:

ツグミ】 

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旅便り

22日の朝、「月参りにいって来るね。」 と言って、

9:30に帰ったら、もう姿がありませんでした。

 

 

兄:「大自然超満足。」九頭竜

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兄:「現在、飛騨高山ですが、景色が良すぎてなかなか進みません。」

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兄:「富士山の野鳥園ヤバすぎる。」

ヤマガラ

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シジュウカラ

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兄:「迷林鼻血ブーになるわ。」

迷林:(スーパーで鼻血出そうになりました。(笑))

 

お留守番の

けとくん

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ぴーちゃん 

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前日、「いいまでありがとう」とか、「4月10日くらいには帰ってくるよ。」

とか今生の別れみたいにいって、迷林遊林を泣かせたお兄ちゃん

 

いのっち  

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迷林:「今夜はどこですか?」

兄:「石川です。」「今日の夜か、明日の朝には帰ります。」

 

 

あら、やはり、うちがよかったのかしら(笑)

みんな首を長くして待っています。

「いない間、すごく大変だったんだよ。」って思っていても言わないことにします。

ブッダ「真理のことば(ダンマパタ)」のはじまり

遊林の高校の制服を採寸してきました。

春からJKなのだなー。

「高校は勉強しに行く。」と、遊林は言います。ごめんね、なんか背負わせてしまって。私そんなこと考えてなかったな、ただ毎日学校へ行くのがとても楽しかったな。

 

高校の近くに住む友人の寺をたずねて、(大雪で家に帰れなくなったりとか、)何かあったらどうかよろしくお願いいたします。とお願いして、うまいカツ丼をごちそうになり、かゆいところに届くような的確なアドバイスをいくつもいただいて、満足してお寺を後にして、

 

学校から案内のあった、電子辞書をアドバイスされた本屋さんへ買いに行きました。

店長さんに「現金5000円で、5500円分の商品券が買えますよ。」と教えていただき、迷わず4万円分買い、電子辞書を買って、5500円分の商品券をそれぞれ使うことにしました。

 

しめしめ、5500円も本が買えるとは。

しかも4/2までに使わなければならないのだから、困ったわー。

とか、にたにたお買い物

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調子にのって買ったら4500円でした。後、1000円しかないじゃないか。

アマゾンもいいけど、やっぱり本屋さんで買うのもいいなぁ。

ちなみに、商品券の使用期限はありません。にたにた

 

 

ブッダ「真理のことば(ダンマパタ)」のはじまりの言葉を紹介します。

 

第一章 ひと組みずつ

1. ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。

—車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

 

2. ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。

—影がそのからだから離れないように。

 

3. 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれはわれから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息(や)むことがない。

 

4. 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれはわれから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息(や)む。

 

5. 実にこの世界においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みを捨ててこそ息(や)む。これは永遠の真理である。

 

6. 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。

—このことわりを他の人々は知っていない。しかしこのことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。

 

7. この世のものを浄(きよ)らかだと思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。

—弱い樹木が風に倒されるように。

 

8. この世のものを不浄(ふじょう)であると思いなして暮し、(眼などの)感官をよく抑制し、食事の節度を知り、信念があり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。

―岩山が風にゆるがないように。

 

9. けがれた汚物を除(のぞ)いていないのに、黄褐色の法衣をまとおうと欲する人は、自制がなく真実もないのであるから、黄褐色のの法衣にふさわしくない。

 

10. けがれた汚物を除(のぞ)いていて、戒律をまもることに専念している人は、自制と真実とをそなえているから、黄褐色の法衣をまとうのにふさわしい。

 

ブッダの真理のことば・感興のことば』 中村元訳 岩波文庫

 

 

ブッダの真理のことば・感興のことば (ワイド版 岩波文庫)

ブッダの真理のことば・感興のことば (ワイド版 岩波文庫)