『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

「乗り鉄」体験 その2

f:id:meirin41:20170715070204j:plain

 

駅に戻って、富山までの切符を買ったら、年配の駅員さんが「そこを渡って、向こう側のホームです」と教えてくれた。教えてくださるのも斬新でしたが、「こ、ここ、渡るの?」って驚いた。ayukame先輩が、「昔は多くの駅がこうだったのよ」と言った。「ひ、ひかれない?」ギリギリだと絶対乗れないやつですね。(説明が下手で分かる方しか分かりません)

 

f:id:meirin41:20170711124434j:plain

f:id:meirin41:20170711124622j:plain

 

f:id:meirin41:20170711124913j:plain

 

帰りの電車は窓が汚くて車窓が曇っています。まあ、行きに撮ったからいいよね 

f:id:meirin41:20170711125533j:plain

 

f:id:meirin41:20170711125558j:plain

 

f:id:meirin41:20170711125642j:plain

 

f:id:meirin41:20170711125800j:plain

 

f:id:meirin41:20170711125848j:plain

 

さて、次は、富山駅に向かいます

富山駅は改装中なのか、訳が分からなかったけど、ayukameちゃんがいるから心配なし

f:id:meirin41:20170715070155j:plain

ランチして

f:id:meirin41:20170711135430j:plain

 

街の中をレール上で走る乗り物に乗ります 

f:id:meirin41:20170711144421j:plain

f:id:meirin41:20170715070145j:plain

乗り心地がとてもよいです

f:id:meirin41:20170711150910j:plain

 

 

f:id:meirin41:20170711151146j:plain

 

 

f:id:meirin41:20170711151228j:plain

なんだこれ

f:id:meirin41:20170711151240j:plain

 

「電車に乗る」ことを楽しむ世界があるようです。 景色を楽しんだり、懐かしい乗り心地や音、逆に快適な乗り心地を楽しむこともあるんでしょうが、暑い夏のお出かけは「乗り鉄」体験ってかなりいい感じです。冷房もついていますし、電車の中でおやつとかお弁当とかも食べられます(私は「はべん」をたべました)。おすすめです。すごーくよかった。 

「乗り鉄」体験 その1

仲良しのayukameちゃんと、

JR高岡駅から、氷見線に乗ります。

f:id:meirin41:20170715070128j:plain

 

 

f:id:meirin41:20170711115037j:plain

 

↓ああこれ、デジャブかも。って思った

けどたぶん、以前「(城端線氷見線)べるもんた」の特集を観ていたときに見たんだきっと。

f:id:meirin41:20170711115800j:plain

 

f:id:meirin41:20170711115522j:plain

 

ずっと乗ってみたかったんだ。海の上を走る氷見線

f:id:meirin41:20170711122254j:plain

f:id:meirin41:20170711122255j:plain

f:id:meirin41:20170711122231j:plain

 

スマホでも撮りました

f:id:meirin41:20170715065558j:plain

f:id:meirin41:20170715070327j:plain

 

f:id:meirin41:20170715071118j:plain

f:id:meirin41:20170715071138j:plain

f:id:meirin41:20170715071152j:plain

 

 

 

電車が海の上を走るようなところはほんの短い時間で目的地の「雨晴駅」に着きました。

f:id:meirin41:20170715070215j:plain

f:id:meirin41:20170715070244j:plain

 

「雨晴海岸」を散策。

f:id:meirin41:20170711123221j:plain

 

f:id:meirin41:20170711123411j:plain

 

f:id:meirin41:20170711123436j:plain

  

ちなみに5月に来たときは、鳥がいたのです

f:id:meirin41:20170517164553j:plain

f:id:meirin41:20170517164727j:plain

f:id:meirin41:20170517165134j:plain

 

 

f:id:meirin41:20170517165355j:plain

f:id:meirin41:20170517165402j:plain

 

時間がないよ、駅に戻ろう、とayukameちゃんが言った

 

 

 

 

スズキ70cm

0:30、お兄ちゃんからメッセージ

「スズキ釣れた」

「1:00に帰ります」

「おーー!!」

「待ってるよ!」

「やったじーー」

うれしそうな顔でご帰還。

じゃーん、スズキ70cm

f:id:meirin41:20170709015218j:plain

f:id:meirin41:20170709015226j:plain

正確に言うと、65cm以上は測れないのです。ウサギのモコが噛みちぎったので。

でーっかいうろこなので、釣具屋さんで買ったうろこ取りで取る。

f:id:meirin41:20170709015156j:plain

釣果はスズキだけではありません

キス3匹

f:id:meirin41:20170709015347j:plain

スズキを三枚におろして皮をひく

f:id:meirin41:20170709104146j:plain

粉をつけてムニエルにしました。

f:id:meirin41:20170709104119j:plain

キスも粉をつけて多めの油で炒め揚げる。ムニエルとフライの中間

f:id:meirin41:20170709104111j:plain

釣りたてなので、刺身もぶりんぶりんでうまい

f:id:meirin41:20170709104138j:plain

「若い奴らが俺に『すげー、どうやったらシーバス釣れるんですかっ』って聞いてきたから、教えてやったよ。」と言ってご機嫌。

報恩講に参勤しました

f:id:meirin41:20170706175953j:plain

 

f:id:meirin41:20170706175511j:plain

f:id:meirin41:20170707073137j:plain

 

f:id:meirin41:20170707073244j:plain

 

 

f:id:meirin41:20170707073759j:plain

 

 

f:id:meirin41:20170707080344j:plain

 

報恩講の最終日を「結願日中(けちがんにっちゅう)」という

 

お勤めされるご和讃は正像末和讃の最後の三首に決まっている。(登高座がない場合は六首)

<第五十六首>

三朝浄土の大師等

  哀愍摂受したまいて

  真実信心すすめしめ

  定聚のくらいにいれしめよ

 

<第五十七首>

他力の信心うるひとを

  やまいおおきによろこべば

  すなわちわが親友とぞ

  教主世尊はほめたまう

 

<第五十八首>

如来大悲の恩徳は

  身を粉にしても報ずべし

  師主知識の恩徳も

  ほねをくだきても謝すべし

已上正像末法和讃    五十八首

 

阿弥陀如来と、念仏を私のところまで伝えきってくださった方々への「恩徳」を報じ、謝するのが、「報恩講」だからなんだろうな。(素直に考える。)

 

 

永平寺いーじ その2

永平寺いーじ その1 からの続き

 

次に、【山門】へ

 

諸仏如来大功徳 諸仏如来の大功徳は

諸吉祥中最無上 もろもろの吉祥の中で最無上

諸仏倶来入此処 諸仏倶(とも)にこのところに来入する

是故此地最吉祥 これ故この地最吉祥

 

・・・順路に問題がないだろうか。

f:id:meirin41:20170603104031j:plain

仏教の守護神である四天王

f:id:meirin41:20170603104004j:image

f:id:meirin41:20170603104017j:image

 

 

納骨や、瓦志納などの受付

売店や休憩場所もあります 

f:id:meirin41:20170603104054j:image

撮影していたら、叱られました。「修行僧は撮影しないでください。」

はじめに言ってほしい。順路通り進んで、ここ最後に来たのよ。すみません。

f:id:meirin41:20170603104102j:image

仕事って、修行なのね。なるほどね。

僧侶って、修行僧なのかしら。僧侶イコール修行僧の感覚、無いよなー。浄土真宗は在家仏教だからね、修行というと、なにか特別なことのように思っている。

改めて、考えさせられました。

 

その後、【瑠璃聖宝閣】へ行きました。撮影禁止です。

薄暗くて落ち着いた空間が、とっても素敵でしたよ。

 

 

 【永平寺川】

f:id:meirin41:20170603103952j:plain

苔むしとる龍、いーじ

f:id:meirin41:20170603104124j:image

 

人に遇うということよって、(自分の)学んでいることの狭さが知るということがある。
一人で学ぶ人がおりますよ、僕の仲間でね、ずっと深いですよ。ふかーいけれども、その人自身が育っているかというと、極めて疑問を感じますね。
学ぶということについて、一つの問題があります。
学びがどれだけひたむきであっても、どうしても乗り越えられんことがあります。クリアに出来んこと、問題があります。
それは偏(かたよ)りですよ、それは個性なんですよね。その人の持ち味なんだけど偏りなんです。それは時に独善的に教えを受けとることになりうる。
 
 
「また、親鸞も偏頗(へんぱ)あるものとききそうらえば、」『御消息集』(親鸞聖人の書かれたお手紙を集めたもの)575p 
 
親鸞聖人もご自身を「偏頗(へんぱ)」ということをいった。偏頗というのは偏(かたよ)り、その人なりの受取りしか出来ないということ。
 
単なる真面目さだけでは自分を固めていくということになりかねない。
そうなってくると、仏法は個人で学んでおりさえいればいいというわけにいかんのだね。
常に自分の学びそのものを批判するものを持たなくてはだめでしょうね。
 
学んでいくことだけで自分を固めていくということになりかねません。
仏法は個人で学んでおりさえいればいいというわけにいかんのですね。
学ぶ姿勢に問題があるわけです。気づきにくいです、これが。
 
ここに「師友」が重要な役目を果たします。「師友」いい言葉やね、先生であり友達。敬意を持てるような相手。
だから「師友」という。友達いう言い方をあまりしませんよね。
ですから、「師友」が重要な役目を果たします。
 
仏法は間違わないけれど、学んでいるものが間違わないということではない。間違う可能性をはらんでいる。
2017.5.22 他教区交流研修会 伊藤元 師

と、いうようなことをおっしゃっていたことを想います。

単なる真面目さでは自分を固めていくことになりかねない
仏法は個人で学んでいくということになってはならない。
学びそのものを批判するもの、「師友」が重要な役目を果たします。

私の連れは「師友」なのであります。

 

学びの多い時間でした。

 

 

永平寺を後にして、グーグル先生に教えていただいて、素敵なカフェに寄りました。

https://tabelog.com/fukui/A1801/A180103/18004835/

 

f:id:meirin41:20170603104140j:image

f:id:meirin41:20170603104208j:image

「実は、ちょっと、申し訳ないが手伝ってほしいことがあるのです。」といって、師友に私が作成した学習会のチラシやポスターの袋詰を、やってもらいました。カフェ・チョットは、奥に畳の間と卓があり、袋詰作業ができる、ミラクルなお店でした。いいとこやったー、また行きます。ありがとうございました。

7864e1a73af58c93.lolipop.jp

 

 

永平寺いーじ その1

じゃーん、やって来ました永平寺

境内に一番近いお土産屋さんに駐車しました。

「1000円以上、お土産を買ってくださったら、駐車料金はいただきません。お連れさんがいらっしゃるんですか。では、2000円以上お買い上げお願いします。」

 

おお、願ったり叶ったり。

f:id:meirin41:20170531092608j:image

 

(事前勉強をしていくべきだった。)

永平寺の主な伽藍 | 永平寺について │ 禅の里 まちづくり実行委員会

 

さてさて、永平寺、平日だというのに観光客がたくさんいましたよ。いーじ

 

まず【仏殿】へ行きました

f:id:meirin41:20170531092632j:image

f:id:meirin41:20170531092656j:image

f:id:meirin41:20170531092750j:image

f:id:meirin41:20170531092731j:image

本尊釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ・お釈迦さま)、阿弥陀仏、弥勒仏の三尊仏。

真ん中のお釈迦さましか、ほぼ見えません。

f:id:meirin41:20170531092713j:image

 

東本願寺の御影堂門上には、『仏説無量寿経』の会座があらわされているけど、お釈迦さまが中央で、阿弥陀さまと弥勒仏が描かれる経典なんてあるのかなぁ。」と、私が言うと、連れは「阿弥陀仏が脇侍(わきじ)なんて考えられない。」とひとこと。おお、なるほど、納得。なんとも頼もしい連れです。

上層(非公開)には、釈迦如来像(坐像)を中央に、脇侍として向って右側に弥勒菩薩像(立像)、左側に阿難尊者像(立像)の三尊が安置され、浄土真宗の正依の経典「浄土三部経」の1つである『仏説無量寿経』の会座をあらわす。また、その手前には仏舎利が安置される。東本願寺 - Wikipedia

  

渡り廊下がまた美しいのです 

f:id:meirin41:20170531092810j:image

 

お次は【法堂】

迷林:「あの、ガオは、なにかなぁ。」

連れ:「ライオンじゃない?」

迷林:「え、獅子じゃない?」(なんでライオン?くすくす)

f:id:meirin41:20170531092832j:image

儀式作法の訓練のようで、一つの動作を繰り返し行っていらっしゃいました。

整った儀式作法というのは、とても美しいもので、仏国土の荘厳を表す、と聴いたような。作法に襟を正すような姿勢に頭が下がります。

見とれていたのは、私たちだけではなく、周りにはたくさんの観光客のかたがいらっしゃいました。

f:id:meirin41:20170531092900j:image

こっそり、ひそひそ、先日一緒に参加した学習会の反省会をやりました。あれよかったね、とかそれぞれの気づきを話し合って、もちろん、目の前のお坊さんたちのことも話したり、それはそれは楽しい時間でした。

 

次に【承陽殿】へ行きました。

「承陽」には仏教を承け伝えると言う意味があるようです。「陽(太陽)を承け伝える」

西に向かってというのは、非常に大事な言葉で、西に向かうということは、真実を求めるという意味があります。

これは西というのは太陽が沈んでく方向でしょう。太陽が沈んでくというのは、太陽が帰っていくと昔の人は見たんですね。

太陽というのは、すべての営みを照らして、そしてその営みを支えるものでしょう。太陽がなかったら、どんな生き物も生きていけません。すべてのいきとしいきるものが、最後帰っていく処、そう見ていったわけですよ。真実ですよ、帰っていく処が本当のところだから。

と、ある方が話されていたことを彷彿とします。

f:id:meirin41:20170531092919j:image

このガオはなに?って、もう聞きませんよ。笑

f:id:meirin41:20170531092936j:image

【承陽堂】は道元禅師を奉祀する御真廟で、正面の階段を登ったところに、本殿があります。(パンフレットより)

f:id:meirin41:20170531092947j:image

f:id:meirin41:20170531093001j:image

 

 

【大庫院】の韋駄天さま↓【大庫院】は食事をとる場所のようです。

迷林:「韋駄天韋駄天とか、(浅草の)帝釈天とか、一昔前の日本人にとって馴染みが深かったんでしょうね、梵天より。」

連れ:「それらはバラモンの神なんだよ。」

迷林:「なるほど。(ぴんときませんが。笑)」

 

f:id:meirin41:20170531093019j:image これ読めばわかるそうです ↓

ぽち。 

ブッダのおしえとインドの思想: 前田專學講演録 (響流選書)

ブッダのおしえとインドの思想: 前田專學講演録 (響流選書)

 

 

f:id:meirin41:20170531093037j:image

 

f:id:meirin41:20170531093113j:image

 

あああ、もえる。(また遊林がひくな。笑)

f:id:meirin41:20170531093123j:image

 

その2に続く

この慈悲始終なし


 一 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々

歎異抄』第四条 p628

 

意訳: 

ひとつ、 慈悲に、「聖道」と「浄土」の変わり目があります。「聖道の慈悲」というのは、ものを哀れみ(かわいそうに思って)、悲しみ(安らぎを与え)、育みます。

けれども、思うがごとくたすけ遂げることは、きわめて有り難い(滅多にない)のです。

 

「浄土の慈悲」というは、(唯円坊の解釈では)我が名を呼べよという阿弥陀佛の願いが私に届いて念仏して、急に仏になって、(仏の)大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益することをいうべきです。

 

今生(こんじょう・今の人生)に、いかに、いとおしく不便とおもっても、ご存知のようにたすけ難(がた)ければ、この慈悲は始めからから終わりまでないのです。

 

そうであるから、念仏申すのみが、すえとおりたる大慈悲心なのですと、云々(親鸞聖人からお聞きしました)

 

f:id:meirin41:20170508162650j:plain

 

慈悲という字について、「慈」は苦しみ悲しみを除き、「悲」は安らぎを与える、という意味があると習った。

 

f:id:meirin41:20170508162144j:plain

 

これは、自分が考えた、仏の救いを表した言葉なのだと聞いた。(本当はそうじゃないと。)いろんなこれが正しいという解釈があるだろうけれど、私はそのことを聞いてなるほどと思った。いや、なるほど、どころじゃない。ああ、やっと感じ続けてきた違和感の意味がわかったと思った。

 

歎異抄」を書いた唯円房も、たすけてあげたい人がいたんだろうか。

たすけてあげられなかったひとが、いたんだろうか。

f:id:meirin41:20170508162613j:plain

 

f:id:meirin41:20170508160807j:plain

 

 

シギとカラスを撮りました

お兄ちゃんが、シギを撮ってくれました。

プロになれそう。笑

f:id:meirin41:20170515163234j:plain

 10羽くらいの群れ

f:id:meirin41:20170515163212j:plain

カラスより一回り小さいくらいの大きさなので、アトリのような小さな鳥の群れよりもインパクトがあります。 

f:id:meirin41:20170515163206j:plain田んぼでよく見かけます。

f:id:meirin41:20170515163127j:plain

 

これは、迷林がレフで撮ったもの。むう、負けてる 

f:id:meirin41:20170508160927j:plain

 

 

 

カラスを撮るのは、負けませんよ。

これは、私のカラス。いつも近くにいます 

f:id:meirin41:20170508162741j:plain

村のカラスは【ハシボソカラス】が多い。でも、この子はひとり【ハシブトガラス】 

【ハシボソカラス】額からくちばしにかけてなだらかに見える(「全体的にすっとしている」と言われる)

【ハシブトカラス】額が出っ張り、上くちばしが著しく湾曲している

参考:「くらべてわかる野鳥」叶内拓哉 山と渓谷社発行

 

f:id:meirin41:20170508162905j:plain

「ちびっちょ」と呼んでいます。

 

f:id:meirin41:20170508152112j:plain

 

おまけ:梵天(黒柴)

なかなかにうれしそうな顔。

f:id:meirin41:20170508163127j:plain

 

shouwanoさんに梵天を描いてもらったことがある。贅沢だなあ、ありがとうございました。今でも思い出してはよく見てる。↓

 

shouwano.hatenablog.com

 

shouwanoさんのラインスタンプ愛用中 

store.line.me

 

 

GWに行きたいところ

GWは(出不精なので)毎年、タケノコを掘ったり、向かいの山に散歩に行って、満足していた。

今年は葬儀式で一生懸命だった。

葬儀式というのは、葬儀全体で、訃報を受けてまず枕経にお参りしてから、仮通夜(通夜振る舞いにつく)、納棺勤行(今回は出棺勤行も)、通夜(通夜説法)、葬儀、斎場勤行、還骨勤行、初七日のお勤めの一連をそう呼んでいる。

 

葬儀式を終えた5/7の夕方、GWに一番行きたかったところへ行く

f:id:meirin41:20170510095358j:plain

 

f:id:meirin41:20170510095746j:plain

 

f:id:meirin41:20170510095756j:plain

 

f:id:meirin41:20170510095501j:plain

おぞいことになった。大地の神様ごめんなさい

 

f:id:meirin41:20170510095437j:plain

 

f:id:meirin41:20170510095427j:plain

 

f:id:meirin41:20170510095450j:plain

 

f:id:meirin41:20170510095512j:plain

 

f:id:meirin41:20170510095902j:plain

生きるために選んだという。

反対しなかったのは賛成したのと同じ

私が無惨な姿に壊した。たくさんの生き物のいのちを奪った

 

f:id:meirin41:20170510095735j:plain

大阪から来た2年生の男の子の名は「ルキ」。月に祈ると書いてそう読む

f:id:meirin41:20170510095812j:plain