『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

書いて学ぶ 親鸞のことば―和讃(東本願寺発行)

いけないと思いつつ、買ってしまった。しかし、この「和讃」だけでがまんして「正信偈」を買わなかった自分をほめたい。

 

 あら、アマゾンにもあった。

書いて学ぶ親鸞のことば―和讃―

書いて学ぶ親鸞のことば―和讃―

 

これは真宗大谷派(東本願寺)HP↓。ちなみに宗務所というのはお役所みたいもの。

http://books.higashihonganji.or.jp/defaultShop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=14403

同じような本はいろいろあるけれど、東本願寺が発行するものとしての責任があろう。ぱらぱらみたけれど和讃の現代語訳、語句の意味、コラムなど心強い。

赤本に対応しているので、現世利益和讃の現代語訳があった。

 

南無阿弥陀仏を称えると、仏法にさわりをなすような神も、釈尊のまえで念仏する人をまもりますと誓っています。

 

天の神々と地の神々はすべて、善い鬼神と名づけられます。これらの善い神々はみなともに、念仏する人をまもるのです。

 

阿弥陀仏の本願の力のはたらきを具(そな)えた信心は、菩提(さとり)を求める大いなる心であるので、天や地にみちみちている悪い神々も、みなすべてこの信心をいただいた人をおそれるのです。

 

南無阿弥陀仏を称えると観音菩薩勢至菩薩はかずかぎりない菩薩とご一緒に、影が体にそうように、念仏するものの身に寄りそってくださるのです。

 

阿弥陀仏の何ものにもさまたげられない光には、無数の阿弥陀仏がおられます。阿弥陀仏はさまざまに姿を変えて、いつでも、真実の信心をいただいた、念仏者をまもるのです。

 

南無阿弥陀仏をとなえると、十方に量(はか)りきれないほどおられる諸仏は、念仏する人のまわりを百重にも千重にもぐるりととりかこんで、よろこんでおまもりくださるのです。

書いて学ぶ 親鸞のことば―和讃(東本願寺出版部)より抜粋

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お手本をなぞる。