『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

当寺永代祠堂経法話で確認したこと

さて、昨日も寒い中たくさんの人にお参りいただきまして、ありがとうございました。昨日は浄土宗の布教使をしていますいとこにお話していただきましたが、
浄土宗と浄土真宗は違うものだなぁと、思いながら聞いたところもありました。
また一つの出来事に対して思うところが、ツボが違うというか感じていました。逆に同じだなと思うところもありました。皆さんはどうだったでしょうか。

印象的だったのが、島根の信仰心のあるお医者さんと信仰心の無いお医者さんの話し、

信仰心のあるお医者さんが、用事があって信仰心の無いお医者さんの家に行ったが、夜がとっぷり暮れてしまったので、泊めてもらうことになった。
夜、信仰心のあるお医者さんは、お勤めをしたいので、信仰心の無いお医者さんお内仏 (お仏壇) はありますか、とたずねたところ、
「ない。」と、「私は、地獄も極楽浄土も仏も信じないし、興味ない、本をたくさん読んでおればよい。」と信仰心の無いお医者さんはこたえた。
信仰心のあるお医者さん驚いたけれども、自分が仏教の教えに出遇ったことを喜んで眠った。

 

信仰心の無いお医者さんは「地獄も極楽浄土も仏も信じないし、興味ない、本をたくさん読んでおればよい。」とこたえた。と聞いてね、
木越樹先生お話を、思い出した。

(中略) http://meirin41.hatenablog.com/entry/2014/01/31/002402

今年の一月の半ばの新聞に、金沢大学付属病院麻酔科蘇生科の一室が「がん哲学外来」になる。ということが書かれていた。「ようやく、できたんやねと、いいことやねぇー」とおっしゃった。勉強会では、麻酔科に哲学が必要になってくる理由を、二河白道の譬えの流れから話されましてね、

(中略)

 

話が脱線してしまいましたが、いとこの話に戻りますと、
それから、3年の月日が流れて、また用事があって
信仰心のあるお医者さんが、信仰心の無いお医者さんの家をたずねなければならないことになった。前回のこともあり、玄関で用を済まそうと赴いたところ、
信仰心の無かったお医者は、前回の非礼を詫び、どうか玄関で済ますとはおっしゃらず、上がって行って欲しいという。
通された仏間には三年前にはなかった立派なお内仏があった。毎日お参りしているようでもあった。

この三年の間に、信仰心の無かったお医者さんに何があったと思いますか?

私はすぐにわかりました。子どもを亡くしたんやね。実は、6歳の娘が病気で亡くなったんだと。

本当に悲しい現実ですが、聞かれる話ですね。
「自力無効」というのでないですか、お金もある、たくさん本も読んで勉強もされているから知恵もあるし、頭がいいでしょう。
けれども、持ってるものが何一つ間に合わない現実に立たされる時、

病気の娘が「私は死んだらどこへ行くの?」と聞くんです、極楽浄土へ行くんですよと、こたえたんだと、「どうしたら極楽浄土へ行くことができるのか」と聞かれるので、お念仏、南無阿弥陀仏をとなえれば、極楽浄土へ行くことができるんですよ」と答えたと。少女は念仏を称えて死んでいったと。

あるのかないのかわからず、用もなかった極楽浄土をねがい、
仏に手をあわせるしかない者、自力無効。
仏は、それまで足を向けていたことを とがまれることなく、
正信偈の言葉で言うと「大悲無倦」大悲、ものうきことなく、

極楽浄土に往生することを信じて、念仏を称えれば、「極楽浄土に往生する」

信仰心の無かったお医者さんは、かわいそうにね、本当に悲しかったやろうね。
これまでくだらないと思っていた言葉に、
泣きながらすがり、またたすけられたのではないかと思います。

その証拠が、以来二人は、お念仏の教えを聞く仏教の仲間になった。これです。

お内仏を新しく迎えた、ということよりも、
教えを聞く仏教の仲間になった。ということが、
信仰心の無かったお医者さんが、教えに出遇ったということ。
今生で死に別れねばならない幼い愛しい我が子と、お内仏、仏間に、仏まします場として手をあわせ、出逢っていく。死んだ人と語る場ではなしに。
我が子の死を縁として、仏教にであって、
もともと信仰心のあるお医者さんお念仏の教えを聞く仏教の仲間になった。

これを僧伽(サンガ)、といいます。
今日の始めに三帰依文を唱和いたしました。お寺によってはちゃんとでかいがに貼ってあるところもたくさんあります。大事な言葉なんですね。仏教の三つの宝、仏、教え、そして、僧―仏教の教えを聞く仲間。
仏教では私たちを宝というんだと、そんなことを思いながら聞いておりました。

(続く)