『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

紅葉と鳥と『歎異抄』第四条と

明日は降るようなので今日しかないなと思った。

境内のイチョウがきれいです。

イチョウの紅葉

イチョウよりきれいなのがサルスベリ

サルスベリの紅葉

晩秋の連休に行きたいところは河北潟。鳥を撮りに行きます。

河北潟からの白山連峰

メタセコイア並木(河北潟)

メタセコイアの並木はちょっとした観光地になっています。

この花はなにかな?背が高くてピンクの11月の花。タチアオイやフヨウに似てるけど、時期が違う。

近くでモズがいばっています。

百舌鳥(モズ)

シラサギ(ダイサギ)

ダイサギチュウサギの違いについて、ダイサギは名前のとおり大きい。ダイサギは口角が眼の後端を超えているのに対し、チュウサギは、口角が眼の後端とほぼ同じ位置にある。丁度、木が邪魔しています。

 

アオサギ

写真の続きは明日。

『同朋』11月号 歎異抄⑤(書いて学ぶ親鸞のことば)より

第四章
慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。

(中略)

しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々

 

【現代語訳】

 あわれみかなしむ心に聖道の教えと浄土の教えとで違っているところがあります。 戒律を守り、厳しい修行を積んで 聖者となって仏となろうとする聖道の教えがとく慈悲というのは、 生きとし 生けるものをあわれみ、かなしみ、大切にいたわろうとする心です。けれども、 思うようにたすけることをなしとげるのは、甚だ 稀なことです。 浄土の教えが説く慈悲というのは、 念仏をして、急いで仏のさとりをえて、大いなるあわれみの心、 大いなる悲しみの心を起こして、思いのままに すべての生きとし 生けるものに恵みを与えることをいうのです。

(中略)

 そうであるから、念仏を称えることのみが、生きとし生けるものを救うということを最後までなしとげる、 大いなる慈悲の心であるはずです、と親鸞聖人は仰せられました。 

月刊『同朋』誌 2023年11月号 | 東本願寺出版

 

最近、「帰敬式法話」のご依頼があってお話をさせてもらった。はじめてだった。20年以上ずっと、私ならどう話すだろうと思ってお話を聞いてきた。

 

帰敬式の、「帰」帰るところは、浄土です。浄土真宗は、浄土を真とすることを宗とする。「宗」というのは、中心にするということで、浄土を中心にすることです。また、この帰るところはよりどころです。わたしたちの「帰すべきところ」は、南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏がよりどころであり、帰るところです。

 

「帰すべきところをうる」、帰るところ、依るところをえることは、「念仏して、いそぎ仏になりて」ということだったのだと。青い鳥を見つけた思いがした。