先日、りょうちゃんのお墓でお昼寝した。
近くには、「イノシシの檻をしかけてありますよ」って書いた看板があるので、イノシシがでるのだろうけれど、梵天に警護をお願いしました。
あとは、りょうちゃんにも守ってもらおう。
ちょっと眠いから横になるよ。と、お墓でごろんと横になった。
きれいに晴れた日だった。起きたら青空にお月様が見えた。
月参りに行ったら、
「今日、親父は生きていたらちょうど百歳(ひゃく)になるんだよ」といった。
りょうちゃんは長生きだった。けど、少し前に浄土へ帰った。
遊林のことを「じょうちゃん、来てくれたか」といって目に入れても痛くないほどかわいがってくれた。遊林もりょうちゃんが喜ぶ顔が見たくて、一緒に月参りに行った。
遊林が車で眠ってしまったことがあって、起こさずに、私一人でお参りに行ったら、「なんだ、今日はじょうちゃんは来れんかったんか」といって、とても寂しそうにした。くすくす、私では物足りないのだな。
「先日もまたりょうちゃんのお墓の所にいって、お昼寝しましたよ。今日は、百歳おめでとうを言いに行ってあげたい気もするけれど、雨が降ったから足元悪いし、やめときます。」といって、帰宅した。
月参りは、「阿弥陀経」をあげている。
りょうちゃんは、つれあいさんとたまたま命日が同じなので、
りょうちゃんのところでは二巻あげている。
先、合掌
次、阿弥陀経
次、短念仏 十遍
次、正信偈草四句目下 同朋奉讃
次、念仏
次、和讃 南無阿弥陀仏をとなふれば
次、回向 願以此功徳(がんにしくどく)
御文 4月は五帖目四通
今日は阿弥陀経和讃もプラスした。
弥陀経意 五首
1
十方微塵(じっぽうみじん)世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取(せっしゅ)してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる
※「摂取」はおさめとってすてない、「摂取不捨」ともいう
2
恒沙塵数(ごうじゃじんじゅ)の如来は
万行(まんぎょう)の少善(せうぜん・しょうぜん)きらいつつ
名号(みょうごう)不思議の信心を
ひとしくひとえにすすめしむ
※「恒沙塵数」は砂粒のように数限りない
※「万行(まんぎょう)の」いろいろな行い
「少善(せうぜん・しょうぜん)」ちいさなよいこと
「きらいつつ」嫌いつつ
※名号(みょうごう)—名を呼ぶ
不思議の信心—不思議な「名号を称えることですくわれる」という信心を
※ひとしくひとえにすすめしむ―よき人にも悪しき人にも、幼き人にも老いる人にも、泣いている人にもわかっている人にも、道を求めるひとにも、道を求めない人にも、道を求めていないときも、そうでないときも、阿弥陀如来は等しく、何に対しても態度を変えることなく、
ひとえに、唯、
「念仏」をすすめる。「わが名を呼べよ、我が名、阿弥陀仏の名を呼べ、南無阿弥陀仏、念仏申せ。」と呼びかけられている
あー、まだ「阿弥陀経」のことも「現世利益和讃」のことも、「御文」五帖目四通のことも書きたかったのに、長くなったからまた今度。
迷林:「梵天!」
呼んだら振り向いてくれる。うれしいな、ありがとう。