『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

真宗とは

10/2に参加した研修会で、和田稠先生が言っておられた言葉が紹介された。

みなさんわからんわからんといわれましたが、私もわかりません。体系立てて作られたところに宗教はないと思っています。僕たちはいつも、真宗を前において、対象として論じている。でも真宗はうしろにあり、親鸞聖人を押し出していったもの。だから対象とはいえない。我々が了解したものが真宗ではない。それは概念。親鸞聖人は自分を押し出したものを真宗と名付けておられるのです。

同じく業縁の存在だと、殺した人も殺された人も許すことが果たしてできるだろうかと腑に落ちずに過ごしたが、それは聞こえてきた方が頷いた言葉なのだと感じた。

対象にして、私が理解しようとしてもわからないことだと気付いた。互いに業縁の存在であるということは美作騒擾に寄り添う上杉先生に聞こえてきたことなのだと思う。

解放運動要員研修会第6回小レポートは90%出来た。帰ってきた私はここに書いたことを抱きしめていく。親鸞聖人の52歳は、

しかれば穢悪・濁世の群生、末代の旨際を知らず、僧尼の威儀を毀る。今の時の道俗、己が分を思量せよ。
 三時教を案ずれば、如来般涅槃の時代を勘うるに、周の第五の主、穆王五十一年壬申に当れり。その壬申より我が元仁元年甲申に至るまで、二千一百八十三歳なり。また『賢劫経』・『仁王経』・『涅槃』等の説に依るに、已にもって末法に入りて六百八十三歳なり。
真宗聖典』356・360頁

 『教行信証』「化身土本巻」にある言葉。この時、

  親鸞年齢52歳、親鸞、当年を末法に入って、684年と『教行信証』に記す。

  (『教行 信証』草稿本完成説あり。)

と書かれる。また「延暦寺宗徒の奏請により専修念仏禁止される」と書かれる。「年表」付録(『真宗聖典』1136頁)

この「我が元仁元年」については、2023年春に慶讃(きょうさん)法要が本山で勤められるので、また触れることもあるだろうけれども、「52歳」。数え歳とか細かいことはまあちょっとおいて、思索をまとめずにおられなくなる歳なのかも知れません。