お散歩道草 osanpomichikusa 

-続迷林遊林航海記

永平寺いーじ その2

永平寺いーじ その1 からの続き

 

次に、【山門】へ

 

諸仏如来大功徳 諸仏如来の大功徳は

諸吉祥中最無上 もろもろの吉祥の中で最無上

諸仏倶来入此処 諸仏倶(とも)にこのところに来入する

是故此地最吉祥 これ故この地最吉祥

 

・・・順路に問題がないだろうか。

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仏教の守護神である四天王

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納骨や、瓦志納などの受付

売店や休憩場所もあります 

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撮影していたら、叱られました。「修行僧は撮影しないでください。」

はじめに言ってほしい。順路通り進んで、ここ最後に来たのよ。すみません。

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仕事って、修行なのね。なるほどね。

僧侶って、修行僧なのかしら。僧侶イコール修行僧の感覚、無いよなー。浄土真宗は在家仏教だからね、修行というと、なにか特別なことのように思っている。

改めて、考えさせられました。

 

その後、【瑠璃聖宝閣】へ行きました。撮影禁止です。

薄暗くて落ち着いた空間が、とっても素敵でしたよ。

 

 

 【永平寺川】

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苔むしとる龍、いーじ

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人に遇うということよって、(自分の)学んでいることの狭さが知るということがある。
一人で学ぶ人がおりますよ、僕の仲間でね、ずっと深いですよ。ふかーいけれども、その人自身が育っているかというと、極めて疑問を感じますね。
学ぶということについて、一つの問題があります。
学びがどれだけひたむきであっても、どうしても乗り越えられんことがあります。クリアに出来んこと、問題があります。
それは偏(かたよ)りですよ、それは個性なんですよね。その人の持ち味なんだけど偏りなんです。それは時に独善的に教えを受けとることになりうる。
 
 
「また、親鸞も偏頗(へんぱ)あるものとききそうらえば、」『御消息集』(親鸞聖人の書かれたお手紙を集めたもの)575p 
 
親鸞聖人もご自身を「偏頗(へんぱ)」ということをいった。偏頗というのは偏(かたよ)り、その人なりの受取りしか出来ないということ。
 
単なる真面目さだけでは自分を固めていくということになりかねない。
そうなってくると、仏法は個人で学んでおりさえいればいいというわけにいかんのだね。
常に自分の学びそのものを批判するものを持たなくてはだめでしょうね。
 
学んでいくことだけで自分を固めていくということになりかねません。
仏法は個人で学んでおりさえいればいいというわけにいかんのですね。
学ぶ姿勢に問題があるわけです。気づきにくいです、これが。
 
ここに「師友」が重要な役目を果たします。「師友」いい言葉やね、先生であり友達。敬意を持てるような相手。
だから「師友」という。友達いう言い方をあまりしませんよね。
ですから、「師友」が重要な役目を果たします。
 
仏法は間違わないけれど、学んでいるものが間違わないということではない。間違う可能性をはらんでいる。
2017.5.22 他教区交流研修会 伊藤元 師

と、いうようなことをおっしゃっていたことを想います。

単なる真面目さでは自分を固めていくことになりかねない
仏法は個人で学んでいくということになってはならない。
学びそのものを批判するもの、「師友」が重要な役目を果たします。

私の連れは「師友」なのであります。

 

学びの多い時間でした。

 

 

永平寺を後にして、グーグル先生に教えていただいて、素敵なカフェに寄りました。

https://tabelog.com/fukui/A1801/A180103/18004835/

 

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「実は、ちょっと、申し訳ないが手伝ってほしいことがあるのです。」といって、師友に私が作成した学習会のチラシやポスターの袋詰を、やってもらいました。カフェ・チョットは、奥に畳の間と卓があり、袋詰作業ができる、ミラクルなお店でした。いいとこやったー、また行きます。ありがとうございました。

7864e1a73af58c93.lolipop.jp

 

 

永平寺いーじ その1

じゃーん、やって来ました永平寺

境内に一番近いお土産屋さんに駐車しました。

「1000円以上、お土産を買ってくださったら、駐車料金はいただきません。お連れさんがいらっしゃるんですか。では、2000円以上お買い上げお願いします。」

 

おお、願ったり叶ったり。

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(事前勉強をしていくべきだった。)

永平寺の主な伽藍 | 永平寺について │ 禅の里 まちづくり実行委員会

 

さてさて、永平寺、平日だというのに観光客がたくさんいましたよ。いーじ

 

まず【仏殿】へ行きました

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本尊釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ・お釈迦さま)、阿弥陀仏、弥勒仏の三尊仏。

真ん中のお釈迦さましか、ほぼ見えません。

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東本願寺の御影堂門上には、『仏説無量寿経』の会座があらわされているけど、お釈迦さまが中央で、阿弥陀さまと弥勒仏が描かれる経典なんてあるのかなぁ。」と、私が言うと、連れは「阿弥陀仏が脇侍(わきじ)なんて考えられない。」とひとこと。おお、なるほど、納得。なんとも頼もしい連れです。

上層(非公開)には、釈迦如来像(坐像)を中央に、脇侍として向って右側に弥勒菩薩像(立像)、左側に阿難尊者像(立像)の三尊が安置され、浄土真宗の正依の経典「浄土三部経」の1つである『仏説無量寿経』の会座をあらわす。また、その手前には仏舎利が安置される。東本願寺 - Wikipedia

  

渡り廊下がまた美しいのです 

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お次は【法堂】

迷林:「あの、ガオは、なにかなぁ。」

連れ:「ライオンじゃない?」

迷林:「え、獅子じゃない?」(なんでライオン?くすくす)

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儀式作法の訓練のようで、一つの動作を繰り返し行っていらっしゃいました。

整った儀式作法というのは、とても美しいもので、仏国土の荘厳を表す、と聴いたような。作法に襟を正すような姿勢に頭が下がります。

見とれていたのは、私たちだけではなく、周りにはたくさんの観光客のかたがいらっしゃいました。

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こっそり、ひそひそ、先日一緒に参加した学習会の反省会をやりました。あれよかったね、とかそれぞれの気づきを話し合って、もちろん、目の前のお坊さんたちのことも話したり、それはそれは楽しい時間でした。

 

次に【承陽殿】へ行きました。

「承陽」には仏教を承け伝えると言う意味があるようです。「陽(太陽)を承け伝える」

西に向かってというのは、非常に大事な言葉で、西に向かうということは、真実を求めるという意味があります。

これは西というのは太陽が沈んでく方向でしょう。太陽が沈んでくというのは、太陽が帰っていくと昔の人は見たんですね。

太陽というのは、すべての営みを照らして、そしてその営みを支えるものでしょう。太陽がなかったら、どんな生き物も生きていけません。すべてのいきとしいきるものが、最後帰っていく処、そう見ていったわけですよ。真実ですよ、帰っていく処が本当のところだから。

と、ある方が話されていたことを彷彿とします。

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このガオはなに?って、もう聞きませんよ。笑

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【承陽堂】は道元禅師を奉祀する御真廟で、正面の階段を登ったところに、本殿があります。(パンフレットより)

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【大庫院】の韋駄天さま↓【大庫院】は食事をとる場所のようです。

迷林:「韋駄天韋駄天とか、(浅草の)帝釈天とか、一昔前の日本人にとって馴染みが深かったんでしょうね、梵天より。」

連れ:「それらはバラモンの神なんだよ。」

迷林:「なるほど。(ぴんときませんが。笑)」

 

f:id:meirin41:20170531093019j:image これ読めばわかるそうです ↓

ぽち。 

ブッダのおしえとインドの思想: 前田專學講演録 (響流選書)

ブッダのおしえとインドの思想: 前田專學講演録 (響流選書)

 

 

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あああ、もえる。(また遊林がひくな。笑)

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その2に続く

この慈悲始終なし


 一 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々

歎異抄』第四条 p628

 

意訳: 

ひとつ、 慈悲に、「聖道」と「浄土」の変わり目があります。「聖道の慈悲」というのは、ものを哀れみ(かわいそうに思って)、悲しみ(安らぎを与え)、育みます。

けれども、思うがごとくたすけ遂げることは、きわめて有り難い(滅多にない)のです。

 

「浄土の慈悲」というは、(唯円坊の解釈では)我が名を呼べよという阿弥陀佛の願いが私に届いて念仏して、急に仏になって、(仏の)大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益することをいうべきです。

 

今生(こんじょう・今の人生)に、いかに、いとおしく不便とおもっても、ご存知のようにたすけ難(がた)ければ、この慈悲は始めからから終わりまでないのです。

 

そうであるから、念仏申すのみが、すえとおりたる大慈悲心なのですと、云々(親鸞聖人からお聞きしました)

 

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慈悲という字について、「慈」は苦しみ悲しみを除き、「悲」は安らぎを与える、という意味があると習った。

 

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これは、自分が考えた、仏の救いを表した言葉なのだと聞いた。(本当はそうじゃないと。)いろんなこれが正しいという解釈があるだろうけれど、私はそのことを聞いてなるほどと思った。いや、なるほど、どころじゃない。ああ、やっと感じ続けてきた違和感の意味がわかったと思った。

 

歎異抄」を書いた唯円坊も、たすけてあげたい人がいたんだろうか。

たすけてあげられなかったひとが、いたんだろうか。

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シギとカラスを撮りました

お兄ちゃんが、シギを撮ってくれました。

プロになれそう。笑

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 10羽くらいの群れ

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カラスより一回り小さいくらいの大きさなので、アトリのような小さな鳥の群れよりもインパクトがあります。 

f:id:meirin41:20170515163206j:plain田んぼでよく見かけます。

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これは、迷林がレフで撮ったもの。むう、負けてる 

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カラスを撮るのは、負けませんよ。

これは、私のカラス。いつも近くにいます 

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村のカラスは【ハシボソカラス】が多い。でも、この子はひとり【ハシブトガラス】 

【ハシボソカラス】額からくちばしにかけてなだらかに見える(「全体的にすっとしている」と言われる)

【ハシブトカラス】額が出っ張り、上くちばしが著しく湾曲している

参考:「くらべてわかる野鳥」叶内拓哉 山と渓谷社発行

 

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「ちびっちょ」と呼んでいます。

 

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おまけ:梵天(黒柴)

なかなかにうれしそうな顔。

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shouwanoさんに梵天を描いてもらったことがある。贅沢だなあ、ありがとうございました。今でも思い出してはよく見てる。↓

 

shouwano.hatenablog.com

 

shouwanoさんのラインスタンプ愛用中 

store.line.me

 

 

GWに行きたいところ

GWは(出不精なので)毎年、タケノコを掘ったり、向かいの山に散歩に行って、満足していた。

今年は葬儀式で一生懸命だった。

葬儀式というのは、葬儀全体で、訃報を受けてまず枕経にお参りしてから、仮通夜(通夜振る舞いにつく)、納棺勤行(今回は出棺勤行も)、通夜(通夜説法)、葬儀、斎場勤行、還骨勤行、初七日のお勤めの一連をそう呼んでいる。

 

葬儀式を終えた5/7の夕方、GWに一番行きたかったところへ行く

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おぞいことになった。大地の神様ごめんなさい

 

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生きるために選んだという。

反対しなかったのは賛成したのと同じ

私が無惨な姿に壊した。たくさんの生き物のいのちを奪った

 

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大阪から来た2年生の男の子の名は「ルキ」。月に祈ると書いてそう読む

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廣大院釋尼浄栄通夜説法

2017.5.6 廣大院釋尼浄栄通夜説法 

 

おおきなさかなはおおきなくちで

ちゅうくらいのさかなをたべ

ちゅうくらいのさかなは

ちいさなさかなをたべ

ちいさなさかなは

もっとちいさな

さかなをたべ

いのちはいのちをいけにえとして

ひかりかがやく

しあわせはふしあわせをやしないとして

はなひらく

どんなよろこびのふかいうみにも

ひとつぶのなみだが

とけていないということはない

(「黄金の魚」谷川俊太郎 「クレーの絵本」講談社より)

 

 

 

皆さま、本日は廣大院釋尼浄栄、○○さんの葬儀式、お通夜にお参りくださいましてありがとうございます。

 

「いい人だったことを彼女の涙が証明している。」と、私が申しましたら、即座に「それは、わかってる。」と、おっしゃいました。なにがあって、だれがいつ、なにをいったか、もう少し丁寧にお伝えするべきでしょうか。

 

○○さんは金沢の染物屋のお嬢さんだったんだよ、と、私にリークして下さった方がおられました。まあ、リークが何かはおいておきまして、なるほどなぁと、そういえば、大正生まれの当寺の一人っ子のお嬢さんとして生まれ育った私の祖母に、雰囲気が似ていたなぁと、今更思っています。まだまだ、一緒に話したいことがあったなあ。

飼っていた文鳥がお浄土へ帰った時、私はずいぶん心配したものでしたが、そのうち、案の定、今、家にいる「ぴーちゃん」を迎えたので、やっぱりな、よかったなと思いました。容態が悪くなって、○○さんの長女である「お姉さん」が、「明日香ちゃん」と一緒に同居して、お世話をすることになって、ミニチュアダックスの「ビア」が家族に加わって、「ぴーちゃん」大丈夫かなぁ、と心配でしたが、「ぴーちゃん」は息子(喪主)さんがちゃんとお世話をしてくださっているので元気です。息子さんが○○さんのために家族として迎えた文鳥です。

 

想い出は尽きませんが、人は亡くなったらお浄土へ帰る、と聞いています。帰る、あるいはる、と書きます。(ちなみに、生まれるときも、お浄土から生まれる、お浄土からのいのちが、お母さんに宿って生まれる、といいます。そういうことを伝える、お釈迦さまの生まれた時の伝承があります。今夜は申しません。)だから、亡くなるということは、そう悲しいことではなくて、元のいのちの場所に帰るのだから、泣かなくてもいいのですが、いなくなることがさみしいので、泣いてもいいのではないかと、私は思います。

 

 さて、院号法名を「廣大院」という字を当寺住職と相談してつけさせていただきました。「廣大」という言葉は、正信偈にある言葉です。赤本には12頁にあります。

ちょっと、今から、呪文のような言葉になりますが、まあ、わかる人もいらっしゃいますので、申します。

 いっさいぜんまくぼんぶにん もんしんにょらいぐぜいがん ぶつごん

こうだいしょうげしゃ(一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言廣()勝解者)

 

一切善悪の凡夫人、  如来の弘誓願を聞信すれば、仏、廣大勝解の者と言(のたま)えり。

 

善悪に悩み生きる どのような人であれ、阿弥陀仏の弘大(こうだい)な誓願を聞き信じる時、釈尊はその人を、真理を領解した者(廣大勝解の者)と褒めてお呼びになります。

 (参考:「書いて学ぶ親鸞のことば正信偈東本願寺)

 

領解-さとること。会得(えとく)。理解。りょうかい。 (広辞苑) 分かった

 

今から申すことも、私の力不足で、まだ、難しくてわからないかもしれませんが、

「念仏を申した時、すでにすくわれている(歎異抄)」という言葉があります。

廣大勝解の者というのは、念仏を申す者、教えに出会ったもののことです。

 

この人のことを、仏教を説かれたお釈迦さまが褒める。「よくぞ、教えに出会ってくれた」といって、喜んで褒める。「廣大」という言葉にはそんな意味があります。

わからんかな。すみません。

 

はじめに、昨夜の仮通夜の時にお伝えした、谷川俊太郎さんという詩人の詩を紹介しました。

いのちはいのちをいけにえとして ひかりかがやく

しあわせはふしあわせをやしないとして はなひらく

どんなよろこびのふかいうみにも ひとつぶのなみだが とけていないということはない

 

 

 

○○さんのご家族は、息子さんを中心として、精進料理でがまんする、という、なんだかわからんけれども、昔の人がやってきて、きっと大事なんだろうことを、意味がわからないけれども、取り組んでおられます。

実は私は、やりませんでした。私のおばあちゃんのお父さんが、今の住職の、前の前の前の住職の方針でした。食べなくて、病気になったらいけないから、無理せんでもいい。と、言い続けたそうです。

でも、私は、心のどこかで、精進料理でがまんすることをしないことに、後ろめたさがありました。だから、○○さんには、「一週間ほど」をお勧めしました。ただの私の提案です。

 

そして、なぜ精進料理なのか、ということは、谷川さんの言葉をお借りすると、 

いのちはいのちをいけにえとして 

私のいのちは、他のもののいのちをいけにえにして、奪って、生きている。

ところが、他のもののいのちを奪って生きていることすら、見えなくなっている

牛肉を食べるとき、殺された牛を思うことはあるでしょうか。私はありません。

考えたらきっと、食べられなくなります。

けれども、大切な人を失うという、悲しみをきっかけとして、精進料理をいただいて、

いままで、肉や魚を食べて、当たり前で、痛みも感じていなかったことを、

食べないということで、考える時間なのではないかと、そう、私は聞きました。

いのちはいのちをいけにえとして ひかりかがやく

しあわせはふしあわせをやしないとして はなひらく

どんなよろこびのふかいうみにも ひとつぶのなみだが とけていないということはない

 

 

 

最後に、もう一つ、谷川俊太郎さんの詩を紹介します。

 

そのあとがある

大切なひとを失ったあと

もうあとはないと思ったあと

すべて終わったと知ったあとにも

終わらないそのあとがある

(「そのあと」谷川俊太郎 「法事のこころ」東本願寺発行リーフレットより)

 

 

 

 私も大切な人を失いました。浄土へ帰りました。

すべて終わったと、その時は思ったけれども、安心してもいいです。終わらないそのあとが、あります。今も、出会い続けています。もしかしたら、存命の母より、

お浄土へ帰った、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、そして、縁ある方たち、

死んでから出会う、ということの方が多いような気もしています。本日お参りに来られた方は、どうでしょうか。よく、聞きます。

 

 

そういうことで、まとまらない話になりましたが、これで話を終わります。一つですね、勇気を出して申しますが、精進料理のことがわからなくてもやってみるように、念仏をわからなくても、今から十回称えていただいて、いいですか。みなさん、手をあわせてください、合掌、「はい、念仏十回。」はい、どうもありがとうございます。

 

 

 

最後に、嘆仏偈という、短いお経をあげて、今日のお通夜のお勤めの儀式の終わりにします。お参りいただきありがとうございました。

 

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春菊が花になりました

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スイッチ入れたくて、比叡山 黒谷 青龍寺 その2

スイッチ入れたくて、比叡山 黒谷 青龍寺 その1 の続き

 

 

遊林から、最近見た夢の分析を頼まれた

 

暗くて、スイッチを探してる。

スイッチがどこにあるのかわからなくて、焦ったり、イライラしている。

 

迷林:そう、じゃあ、その夢を見た時、どんな気持ちだった?怖かった?遊林は、暗いのが苦手だね、今でも眠るとき電気がついていないと、怖くて眠れなくて、寝ているからと、電気を消すと怖くなって逆に起きてしまうくらいだよね。

 

遊林:そういえば、その夢の暗いのは、怖くなかった。うん、イライラして、焦っていた。

 

迷林:怖い夢ではなかったんだね。そうか。スイッチが何を示すのか、調べてみるよ。

 

と、話していた。

 

しばらくして、ラインにメッセージをいれた。

 

迷林:で、夢のことだけど、

スイッチは、自分の大切なひとの象徴だよ。

たとえば、私

たとえば、友だち

彼女が元気になるスイッチをさがしているのでは?なーんてな!

 

遊林:なるほど

 

 

迷林は、スイッチ入れたくて、比叡山 黒谷 青龍寺

 

 

法輪の紋。

初転法輪」を彷彿とする。

梵天が4度、勧請(請い、勧めて)して、語りだされる教え

しつこく、語ることを請われ、勧められなければ、誰もわかることなどないと、絶望に終わった

梵天の勧請によって、その言葉は、輪が坂を転がるような勢いで

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「月影の 到らぬ里は なけれども

眺むる人の こころにぞ澄む」

有名な、法然上人の和歌(浄土宗のいとこが繰り返し伝えてくれた言葉)

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法然上人は「一切経」を5回読んだという言い伝えがある

一切経(イッサイキョウ)とは - コトバンク

 

法蔵ってこんなのかな、と

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連休中でも、経机にホコリが無いのは、誰かが座って道を求めたからだろうか。

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高価そうな木魚。ぽくぽく

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さあ、帰ろう。

来れてよかった。一人では来れるわけないもの

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並んでいるのは、

私のねがいを叶えるための願望ではなくて、

弔う気持ち

悼む気持ちの道に違いないと思った。歩くときに怖くはなかったです。

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マムシ草】、ええ、ここはマムシがいそうです。

それは、怖い(笑)

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ケーブルカーからの琵琶湖
けむっていて、きれいだね、ほんとに。 

(ああ、修正したのだけど、間に合わず。)

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あの、輪袈裟は何宗?マニアな関心が

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(天台宗の宗紋のようです。ふふふ)
 
ケーブルカーを降りて帰り道。横を歩く比叡山高校の女の子たちが、とても素敵でした 

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送り出してくれて、ありがとう。スイッチ入ったよ。枕経、行ってくる! 

 

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数か所訂正加筆しました

スイッチ入れたくて、比叡山 黒谷 青龍寺 その1

日本一長いケーブルカー【坂本ケーブル】に11分乗って、

親友に頼みこんで一緒に行ってもらった。京都 比叡山 延暦寺

親鸞聖人が9歳から29歳まで学んだ地 

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目指すは、

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迷いました(グーグ◯マップのせい?)

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てくてく。

ちょうどくもりで、緑がきれいで、八重桜が咲いて。人影がまばらで、いないこともなくて(GWに比叡山へという気持ちは、僧りょの私にとってはそう珍しいことでもないのですが、どう見ても僧りょに見えない方々に対して、殊勝であると、手が合わさる思いがしました)。よく整備された、人に今も愛されている山

 

ついにやってまいりました。

黒谷 青龍寺(せいりゅうじ)

親鸞聖人の先生、法然上人が過ごされた寺

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なんて、考えはまだ甘くて、

長ーい階段を下りるのです

膝やふくらはぎが悲鳴をあげそうです(笑)。

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鳥の声、シジュウカラかな、ヤマガラかな。 

 一休みしながら歩く歩く

 

ようやく着きました

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門をくぐると【シャクナゲ

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鐘楼

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お堂へ 

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青龍が錆びたのかな?

あ、これは狛犬、あるいは、白虎? ええ?まさか、鵺(ぬえ)?まさかね。

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ご自由にお入りください

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言葉を失う

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法然上人の御木像

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天上画の天人。鳥や音楽を奏でる楽器

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あ、鬼がいる。

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スイッチ入れたくて、比叡山 黒谷 青龍寺 その2 に続く

お散歩日記4/29

 

5月8日は心に刻む(ニアイシネルン)ための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを誠実かつ純粋に思い浮かべる(ゲデンケン)ことであります。そのためには、とりわけ誠実さが必要とされます。


 われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃(たお)れたすべての人々の苦しみのうちに思い浮かべております。


 ことにドイツの強制収容所の中で命を奪われた600万人のユダヤ人を思い浮かべます。 

 

 戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連ポーランドの無数の死者を思い浮かべます

 

 ドイツ人としては、兵士として斃(たお)れた同胞、そして故郷の空襲で、捕らわれの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
 
 虐殺されたシィンティ、ロマ(ジプシーと呼ばれた人)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念ゆえに死ななければならなかった人びとを思い浮かべます。

 

 銃殺された人質を思い浮かべます。

 

 ドイツに占領されたすべての国のレジスタンス(抵抗者)の犠牲者に思いをはせます。

 

 ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジス

(中略)

 

 罪の有無、老少いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

 

 心に刻み(ニアインキルン)つづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。


 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目にとなります(拍手)。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです
 
出典:『荒れ野の40年』ヴァイツゼッカー大統領演説全文 岩波ブックレット
 
2016.9.30 いしかわ教育総合研究所 田村光彰(元北陸大学教授)
石川の戦争を学ぶ 第三回 日独の戦後処理・反省
資料より。

 

 
ずっと、書こうと思っていた。ところが、この大事な資料が迷子で。捨てるわけはないから、そのうち、と思っていた。見つけたときもあった。でも、その時は今度書こうと思って(笑)。もう今日は絶対見つけると部屋中引っかき回してようやく見つけた。お陰で部屋がきれいに。まあ、よくある話(笑)。
 
田村先生は丁寧に、大切なことをたくさん教えてくださいました。
金沢が、「731部隊(戦争中に生体実験をした)」に縁が深いことを、知りませんでした。
 
特に印象的だったのは、
日本は戦争犯罪を裁かず、明らかにしなかったから、繰り返す恐れがある。
対してドイツは、戦争を繰り返さないために、ナチス犯罪に時効を設けない。
94歳になっても、97歳でも裁判をやめない。
毎日新聞が2012年7月19日、97歳のナチ戦犯が拘束されたことを伝えている。
徹底的に、ナチス犯罪を許さない。今でも続いている。これが日本と違うところである。

 

 
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」
 
という、ヴァイツゼッカー大統領演説は有名で、差別問題の研修会でもよく紹介され、耳にすることがあったが、この前に、下記に表すこの順番で、思い浮かべるということで、弔いの言葉(謝罪)が述べられたことを、知って衝撃を受けた。

 

 
まっさきに、思い浮かべるのは、
600万人のユダヤ
すべての民族、なかんずくソ連ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
同胞を哀しみの
 
そして、
われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

 

 
ドイツの人たちの動画を見せていただきました。彼らはこの言葉を共有していました。
「私にも、責任がある。過去からの帰結に関わる。」

 

 
ヴァイツゼッカー大統領:

リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー - Wikipedia


 
ドイツには、「祈念(追悼)の場・ノイエ・ヴァッヘ」がある。
ドイツは、追悼のために、1993年新「ノイエ・ヴァッヘ」成立
そこに、彫像(ブロンズ)「死んだ息子を抱く母親」(ピエタ)がある。母と死せる息子。息子は裸で、裸であるということは、生身の裸の人間としての息子の死が、表現されている。
また、ミケランジェロピエタは「死んだイエスを抱くマリア」で、戦争の犠牲となる、母と若者のみが、表現されることに、疑問がなげかけられることがある。ヴァイツゼッカー大統領演説にあるように、戦争は、国籍、身分(市民・兵士)民族を問わずすべての死者が戦争の犠牲者である。私たちはそれを決して忘れてはならない。
 
ノイエ・ヴァッヘとは:

ノイエ・ヴァッヘ - Wikipedia

 

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田村先生が、ノイエ・ヴァッヘの「死んだ息子を抱く母親」(ピエタ)の画像を見せてくださった。
そこに花が手向けられていた。
ノイエ・ヴァッヘの像を検索すると、花が手向けられている画像をいくつも確認することが出来る。
 
 
亡き人のために花を手向けるということは、民族や文化を超えて、あるものなんですね。と、私が言うと、隣に座っていた先生は静かにうなずかれた。

 

 

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晩春

晩春の候、と書いて案内をだした

 

お母さんが、採ってきたゼンマイを干している。これすごく喜ばれるんだよ。

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どうしても撮っておきたかったのが、このグミの花。

グミというのは、サクランボみたいなのがぶらぶらたくさんなるので、小鳥たちが喜んで食べに来る。この木は、実が小さくて、小鳥たち用

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【ドクゼリ】、身近にあってもおままごとで使うときは要注意。

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これは、オレンジ色のオオイヌノフグリみたいな草です

草花の専門家のようなおばあちゃんがくれました。これならほおっておいても大丈夫。

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これもね、撮りたかった。アケビの花。でもちょっと遅れたかな

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タラの芽。また食べずに終わりそう

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野イチゴの花

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んー、これは、栗だったかな

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これは、クルミの新緑。

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