『歎異抄』に帰る

-新迷林遊林航海記

「果遂の願」(かすいのがん)

年末に、ある祝賀会に参加した。「果遂の願」(かすいのがん)という言葉が心に残った。

果遂は「はたしとげる」ということ。

仏説無量寿経』 第二十願 
たとい我、仏を得んに、十方の衆生、我が名号を聞きて、念を我が国に係けて、もろもろの徳本を植えて、心を至し回向して我が国に生まれんと欲わんに、果遂せずんば、正覚を取らじ。
人々に、私の呼びかけが届いて、浄土に思いを馳せ、努力し、浄土に生まれようとするものが、果たし遂げることが出来なければ仏にならないという誓い。
第二十願は行が自力だとかそんなことはおいておいて、
果たし遂げることが出来ないならあきらめないという誓いであるという。
願うことをあきらめない。呼びかけ続ける。

正信偈の言葉を思い出す。
極重の悪人は、ただ仏を称すべし。  
我また、かの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、
大悲倦(ものう)きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。

私がどんなものでも、常に照らしてくださる、あきらめずに呼びかけてくださる。
ということだったんだな。

法蔵魂(ほうぞうだましい)なんてのもいってたな。私にはもう10年くらいご無沙汰な言葉。

この言葉でだいたいぴったりした。http://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq0000000lvp.html